aikatasanのブログ

中年の妄言

保健所に連れて行く責任と再び捨てる無責任?

先日読ませて頂いたブログで、頭がグルグル。

死にかけの仔猫を拾って、飼い主が見つからなければ、保健所に連れて行くと言う件。

わざわざ拾って保健所(殺処分)に連れて行くのは無責任と批判を受けたそうです。

 

どちらもわかる気がする

 

死にかけの仔猫に救命措置をして、飼い主を必死に探して、見つからなければ保健所・・は、もともと死にかけだった仔猫を外に放り出しても飢えて衰弱するか、車に轢かれるか、カラスに生きたままついばまれるか、自殺が出来ない仔猫には苦しい未来しか見えない。そんな苦しみを与えないために保健所だと思いました。

 

放り出して自分の見えない所で死んでくれれば罪悪感も少ない。見えない所で死んでも、何処かで元気に暮らしてると言い聞かせられる。そんな事は無責任だと感じ、飼い主が見つからなければ、保健所に連れて行き、自分が仔猫を殺した罪を背負うそんな覚悟なのだと思いました。

 

ももう一方で思うのは、親が子供を道連れに無理心中する話です。自分達親が居なくなれば、子供は不幸になる、残しては逝けない、一緒に死のうと言うもの。先ほどの仔猫と違い、子供を道連れにする事はおかしいと思うでしょう。子供には未来があると言うでしょう。

 

人の子は仔猫と違い保護されるからと言われるかもしれませんが、何かモヤモヤします。

 

仔猫にも未来はあります。たとえ確率は低くても10分後には誰かに拾われるかもしれません。一方殺処分は100%の死 しかも安楽死ではありません。窒息して苦しんで死にます。だから、NPOの方々が殺処分を無くそうと必死に頑張っているのだと思います。

 

無理心中で生き残った子も、親が無く、頼れる大人もなく、施設で育ち、18で社会に放り出しされ、どんなに働いても苦しみだけが積もっていく。生きて行くのが辛い、そんな人も居るかもしれません。

 

子(仔猫)の未来に絶望した親(人間)が無理心中(殺処分)するのは、その人のエゴな気もします。しかし一方で、砂漠のど真ん中に放り出されて、どうやって生きろと言うの?と言う思いも湧きました。ずっとグルグルしてます

 

私は捨てられて、カラスに襲われそうになって居た仔猫を拾いました。目も目ヤニで完全に塞がっており、食べる事も排泄する事もままならない仔猫でした。周りの人に助けられ、今は立派な成猫です。

 

どちらが正しいかはわかりません。しかし、保健所に連れて行かれるより、再び捨てて頂いた方が良い気がします。多分私が出会った猫は捨てられた猫だと思うので。

 

拾うと言う事は、その猫の命に責任を持って寿命をまっとうさせる事だと思います。

 

死にかけの仔猫を救命したのは良い事だと思います。飼い主を必死に探すのも良い事だと思います。しかし、捨てられていた仔猫を拾って保健所に連れて行くのは個人的に違和感があります。いったいどうすれば正解なのでしょうねq