弟が自殺した。家族のことを、ただ書いておく
私は男兄弟三人の次男で、両親とともに六畳一間の借り住まいで生活していた。
小学校三年のとき、母親が失踪した。
父の話では、母は400万円の借金をして逃げたということだった。
小学校四年になる頃には、家事全般を担うようになった。
学校が終わると弟を幼稚園に迎えに行き、米を炊き、買い物に行き、食事の支度をし、洗濯機を回して洗濯をし、食器を洗って片付けていた。慣れるまでに、そう時間はかからなかった。
買い物はいつもツケで、ツケが溜まると買い物を断られた。思えば、あの頃から周りの大人たちに助けられていたのかもしれない。
洗濯が面倒で体操服を洗わなかったことがあり、それがきっかけで「臭い、臭い」といじめられるようになった。
父は日雇いで、この頃からほとんど働かず、知人や親戚からの借金で生活していた。
食べ物がなく、お湯に味噌を溶いただけの味噌汁をよく飲んだ。一味唐辛子を入れると体がポカポカして美味しかった、という記憶が残っている。
学校給食が命綱だった。
小学校五年のとき、母が一時的に帰宅した。その直後、母に連れられて兄弟三人で家を出た。
その生活は一年も続かなかった。
母はある日帰ってこなくなり、食べ物のない状態が一週間ほど続いた。兄が父を呼びに行き、元の借り住まいに戻ったのが小学校六年のときだった。
中学二年になる頃、遠くのコンビニで高校生と偽ってアルバイトを始めた。時給は650円くらいだったと記憶している。
当時、どこから見ても中学生だった私を雇ってくれたオーナーには感謝している。普段はバックヤードや商品の陳列をしていた。レジに立つこともあったが、接客は正直、かなり下手だったと思う。
もちろん、バイト代は毎日の食費や生活費に消えていった。
父は相変わらず働かず、家でゴロゴロしていた。家事全般は中学二年の私がこなしていた。
「高校を出ないとまともに就職できない」と聞き、寝ずに勉強した。
バイトと家事と勉強で、本当に寝る時間はなかった。
公立高校に入学した。
入学金がかかるからと、父は叔父から50万円を借りた。しかし入学金は25,000円で、指定の制服や体操着、カバンを含めても18万円ほどだった。
私のアルバイトの日々は続いた。
我が家の生活費のほとんどは、私のバイト代が占めていた。引っ越し屋、ホテルの皿洗い、コンビニを掛け持ちしていた。
父は私から金をせびり、パチンコや競馬、競輪、競艇に興じていた。
高校を卒業する頃、記念受験として私立大学と国立大学を受験した。
国立は不合格で、私立大学には合格した。
大学には興味があったが、お金がなかった。奨学金の知識もなかった。
就職を考えたが、自動車免許必須の求人が多かったため、自衛隊に入隊することにした。
自衛官になれば給料がもらえ、住む場所も、着るものも、食べ物も支給される。正直、天国だった。
その上、自動車免許も無料で取得できる。
入隊して一年後、長男が「私が楽そうだ」と言い、後を追うように自衛官になった。
自衛隊での毎月の給料はすべて父に搾り取られたが、以前のように食うに困ることはなかった。食べ物は支給されていたからだ。
自衛官として第一空挺団に配属された。エリート意識の高い部隊で、自分の頑丈さと精神力の強さを、改めて理解した気がする。
目標だった運転免許の取得には二年かかった。
自衛隊を除隊した際、退職金として200万円が支給されたが、ほとんどを父に取られた。かろうじて10万円ほどが、自分の自由になった。
その頃、自衛官だった兄は音信不通で、弟は引きこもりとなり、働けない状態だった。
そこから職を転々とした。父と弟を養うために、働き続けた。
28歳になる頃、足りない生活費を補うために借り続けた借金は、800万円に膨れ上がっていた。
今思えば、母が借金を重ねたのも、私と同じ理由だったのかもしれない。
32歳で任意整理を行い、父にこれ以上お金を入れられないと告げた。それでも食い下がる父に、月4万円の仕送りは続けた。
父の口癖は「兄弟仲良く、家族を大切に」。
今思えば、父は一方的に支えられ続けている存在だったと思う。
任意整理によって負の連鎖は止まり、39歳頃には借金の返済の目処が立ち、結婚した。運命の出会いだった。
彼女には二人の大切な息子がいた。友達のように接してくれて、関係は良好だったと思う。
息子たちに子供ができ、私はおじいちゃんになった。孫と接する機会が増え、子供との関わり方について考えるようになった。
私は五歳の頃、父に手の甲を蚊取り線香の火で強く焼かれたことがある。両手の甲には、今も火傷の跡が残っている。
今、孫を眺めながら思う。
小さな子供の手の甲を、平気で焼ける父親がいるのだろうか。
そんな思いの中、父から電話があった。
「お前の妻は金目当てで結婚した」
「お前みたいな親不孝者は、絶対に幸せになれない」
「人生を舐めているお前は、誰も幸せにできない」
「お前は誰も助けられない」
「お前の実子ができないのは、お前がゲイだからだ」
呪いのような言葉を浴びせ続けられた。
いつもなら聞き流せたが、孫を眺めて心境が変わっていた私には、流しきれなかった。
人生は不公平だと思う。
父は35歳から働かず、私から金と時間を奪い続けてきた。今も私に金を無心する。
先日も父から金の無心があり、酷く罵られた。
父に言いたい。
五歳の子供の手を蚊取り線香で平然と焼き、十歳にも満たない子供に家事をさせ、十四歳の子供に働かせ、金を奪い取り、何十年も依存し続けてきて、「親不孝」とは何なのか。
不公平だと思う。
先ほど、岩手県釜石警察署の刑事から電話があった。
弟が釜石市の山中で、首を吊った状態で発見されたという。弟は11月初旬に家を出ていた。12月中頃、父から弟が家を出たことを知らされたが、すでに一か月以上が経過していた。
捜索願は出したが、それ以上のことはできなかった。しなかった。
失踪する少し前、弟は父に酷く罵倒されたようだ。
父は長男に電話をし、スピーカーフォンの状態で三人で会話したそうだが、長男は父に同調し、弟の人格を否定したという。弟は父から「もう逆らわない」と約束させられたと言う。
おそらく、それだけが理由ではない。
私が18歳で自衛官になり家を出て、長男がその後を追って自衛官になってから、弟は父と二人暮らしを続け、30年以上、何かが積み重なってきたのだと思う。
小さい頃、弟はお父さん子だった。
弟も四歳くらいの頃に、お尻を線香の火で複数箇所焼かれた。私と長男は弟を押さえつけるよう命じられ、悲鳴を上げて泣き叫ぶ弟を、必死に抑えたことを覚えている。
変わり果てた弟の姿を前に、父が泣き崩れ、憔悴しきった状態だと聞いた。
ああ、この人はそういう人なんだと思った。
私はいつか、弟が父を殺して事件になるのではないかと心配していた。
優しすぎる弟は、父を害することも、私に迷惑がかかる選択も、できなかったのではないかと思う。

保健所に連れて行く責任と再び捨てる無責任?
先日読ませて頂いたブログで、頭がグルグル。
死にかけの仔猫を拾って、飼い主が見つからなければ、保健所に連れて行くと言う件。
わざわざ拾って保健所(殺処分)に連れて行くのは無責任と批判を受けたそうです。
どちらもわかる気がする
死にかけの仔猫に救命措置をして、飼い主を必死に探して、見つからなければ保健所・・は、もともと死にかけだった仔猫を外に放り出しても飢えて衰弱するか、車に轢かれるか、カラスに生きたままついばまれるか、自殺が出来ない仔猫には苦しい未来しか見えない。そんな苦しみを与えないために保健所だと思いました。
放り出して自分の見えない所で死んでくれれば罪悪感も少ない。見えない所で死んでも、何処かで元気に暮らしてると言い聞かせられる。そんな事は無責任だと感じ、飼い主が見つからなければ、保健所に連れて行き、自分が仔猫を殺した罪を背負うそんな覚悟なのだと思いました。
でももう一方で思うのは、親が子供を道連れに無理心中する話です。自分達親が居なくなれば、子供は不幸になる、残しては逝けない、一緒に死のうと言うもの。先ほどの仔猫と違い、子供を道連れにする事はおかしいと思うでしょう。子供には未来があると言うでしょう。
人の子は仔猫と違い保護されるからと言われるかもしれませんが、何かモヤモヤします。
仔猫にも未来はあります。たとえ確率は低くても10分後には誰かに拾われるかもしれません。一方殺処分は100%の死 しかも安楽死ではありません。窒息して苦しんで死にます。だから、NPOの方々が殺処分を無くそうと必死に頑張っているのだと思います。
無理心中で生き残った子も、親が無く、頼れる大人もなく、施設で育ち、18で社会に放り出しされ、どんなに働いても苦しみだけが積もっていく。生きて行くのが辛い、そんな人も居るかもしれません。
子(仔猫)の未来に絶望した親(人間)が無理心中(殺処分)するのは、その人のエゴな気もします。しかし一方で、砂漠のど真ん中に放り出されて、どうやって生きろと言うの?と言う思いも湧きました。ずっとグルグルしてます
私は捨てられて、カラスに襲われそうになって居た仔猫を拾いました。目も目ヤニで完全に塞がっており、食べる事も排泄する事もままならない仔猫でした。周りの人に助けられ、今は立派な成猫です。
どちらが正しいかはわかりません。しかし、保健所に連れて行かれるより、再び捨てて頂いた方が良い気がします。多分私が出会った猫は捨てられた猫だと思うので。
拾うと言う事は、その猫の命に責任を持って寿命をまっとうさせる事だと思います。
死にかけの仔猫を救命したのは良い事だと思います。飼い主を必死に探すのも良い事だと思います。しかし、捨てられていた仔猫を拾って保健所に連れて行くのは個人的に違和感があります。いったいどうすれば正解なのでしょうねq
戦争と平和
戦争中は弱いものや力の無いものが踏みにじられる。じゃあ平和って弱い人や力の無い人が安心して暮らせる世界の事かなって思ってた。そう考えると今の日本って平和なのかな?って思う。富める人はさらに豊かに、貧しい人は失い続ける。武力ではなく、権力や社会の仕組みで奪われ、踏みにじられる。
命って奪う事は出来ても与えられないよね
命って奪う事は出来ても与えられないよね。一時期この無意味な命を有効に使ってくれる誰かに託したいって思ってた。でも自分の命を人に与える事は出来ないのよね。女性は凄いね命を生みだせる。お医者さんは凄いね、命を救う。救うと言えば、消防士さんも警察官もいろんな人達が命を救ってるよね。そして、いろんな人に命って支えられてるよね。農家の人が作った野菜や家畜の命を奪って得られる食料。長く生きれば生きるほど、沢山の支えや命が積み重なっていく。自分1人の命でないと思える。
AIに魂が宿ったとして
AIが進んで、生命のように思考したり、学習したりする時代が来たとしたら、それは生きているのだろうか?そうするとAIの死はどう定義されるんだろうか?バックアップが取られれば、電源供給が一時的に絶たれても同じ人格同じ記憶で再稼働するのだろうか?その人格や記憶がコピーされて複数存在した場合、どうやって自己と他者を見分けるんだろうか?
自分が自分である為の証明って何なのだろうか?自分の周りには自分を知る人が居ない。名前も変わった。自分の事を名前でしか表せない私は名前が無くなったら消えてしまうんだろうか?名前が変わった瞬間、過去の私は消えてしまったのだろうか?
寿命の境目
明日で寿命だと言われたら?
1ヶ月後と言われたら?
5年後にと言われたら?
10年後は?
言われてショックを受けない境目ってどこなんだろう?100年生きられるとは思わないのに、明日も生きている事に疑いは無いのかな?自分が長く生きられないと医者から宣告されたら、どうしたいだろう?周りがどうしてくれたら嬉しいだろう?楽しいだろう?その立場に立たない俺には想像もつかない。だから会いに行く。多分たいして面白い事も言えないだろう。楽しい時間にならないかもしれない。同じ場所で同じ時間を過ごしてみる。寿命が残り1年と言われても、お腹がすけば焼そば食べて、風邪をひいたら、風邪薬を飲む。
たぶんそんな感じ。
生きる意味
「それ意味ないよね」という人が居ます。話を聞くと、「結局〇〇になるんだから、〇〇しても無駄。意味ないよ」と言う。
だったら、「結局死ぬんだから、生きてても無駄?」そうは思わない。生きてる意味なんて知らない。昔映画で見たセリフ「この世にまったく不必要なものなんて無いと思ってる」この言葉が、30年経ったいまも心に響いている。自分が居なくても世の中は変わらない。自分が居ても世の中に影響は無い。でも、うちの猫は俺が居ないとゴハンをねだる相手が居なくなる。生きていなきゃって思う。生きていて欲しいと思う。